生命の機能を考える際に、しばしば我々が作り出した機械とのアナロジーで捉えようとする。しかし、我々が機械を作る際に、ある機能をになった部品をくみあわせて作って行くのに対して、生物では要素と機能を1対1に対応させるのではなく、むしろ、状況に応じて多様な機能特性を持ちうる。このような動的な多機能特性はいかにして可能なのであろうか?
これまで生命科学の研究においてはある機能を持った因子を見出すことに重点がおかれて来た。しかし、ある機能単位として見出された分子が周りの状況に応じて異なる機能を持つケースが近年、次々と見出されている。例えば、浅島によって見出され、発生学の最重要分子の一つとなったアクチビンにおいても、その濃度を変えることで様々な分化を引き起こすことが知られてきた。また、細胞内には複数の潜在的情報伝達経路がある。その1種類が主に働いていることがしばしばあるが、周囲を変えると、別の伝達経路が主役になるので、細胞の振る舞いが大きく変化し、また細胞骨格も変形して形が変わる。そこで、ある役割をになった分子を探す時代に代わって、動的かつ状況に依存した機能が要素間の関係性を通してあらわれてくる仕組みをさぐる時代を迎えることが予想される。
一方、分子生物学では遺伝情報に書かれた規則をよみとり、遺伝子がシグナル分子の濃度が多いと発現するという、「if then」型の論理の連鎖で表わしてきた。これにより生命科学と情報科学の結合が促されてきた。しかし、発生過程を例にとるとこれは数千個程度の分子数によるシグナルからなるものであり、統計力学的なゆらぎはさけて通れない。つまり、コンピュータと違って、「間違わない」ルールが与えられているのではない。そこで、書かれたルールを探るのではなく、むしろダイナミックな変化を通して、状況に依存したルールが生成されてくる仕組みを理解しなければならない。
こうした生命の基本問題--個々の要素と全体の振舞の間の相互関係によって、いかにして状況依存型ルールが生成されてきたか--に挑むべく構想されているのが本プロジェクトである。それは3つの柱からなる。
1)構成的アプローチ(人工複製系構築班)
2)多様な要素の相互作用による動的関係性の研究(動的生命解析班)
3)個と全体の間のダイナミックな関係の生成(発生過程制御班)
それぞれ、理論的背景があるが、ここでは当COEでの具体的実験計画との関係で述べる。
1)はルールが進化によって与えられた生命を調べるのでなく、我々の側からいくつかの条件を設定して、生命の基本的複製過程や発生過程がいかにあらわれるかを調べるものである。当研究の目標としては多様な化学反応のネットワークの中から複製する集団(プロト細胞)を創出させることである。
2)は生命の持つ動的多機能特性の解析である。これは生命が前もって設計図を書いて作られた機械ではなく、その場にあった分子を場あたり的に用い進化して来たことに由来すると考えられる。ここでは、現在の生命体を通常とは異なる状況においてそのルールの変化を調べること、および1)で構成した多様な分子集団の反応系が持つ動的多機能性の解析を行う。前者の具体例としては、通常の脳内では隣り合わない異なる神経とグリア細胞を共存させて、人工分化信号をやり取りさせて、新しい細胞に変化して行くのを、動的可視化解析する。
3)細胞集団が互いの関係を通していかに安定な発生過程があらわれてくるかを、今起こっている発生過程に限定されずに行い、いかに安定な発生過程が発生してきたのかを明らかにするものである。具体的にはアクチビンの濃度を変えて通常とは大きくはずれた状況に実際の細胞集団を追い込み、その中で起きうることをあきらかにすること、さらには植物のカルス細胞の集団から発生過程の原型があらわれるかどうかの実験を通して安定な発生過程のための論理を明らかにするものである。
複雑系研究は、数理科学においては、カオスのような非線形ダイナミクスの研究から始まり、現在、細胞集団や生態系のモデルの研究を通して、多様なダイナミクスの中からルールが形成されるしくみを明らかにしつつある。現在までに比較的抽象的なモデルで、多対多の関係性の論理を構築し、多様化、分化の論理を抽出することに成功してきた。しかし今までのところまだ理論や計算機シミュレーションが先行し、実験を含んだ生命科学としてはまだ進展していない。今まさに、この考えを現実の分子集団に適用し、実験と理論の共同作業によって、分子集団から細胞へ、そして細胞分化から細胞集団社会の形成にいたる生命現象の論理を明らかにする段階に来ていると考えられる。
ヒトゲノムプロジェクトが完成しようとする今、書かれている情報やルールを読むのではなくルールを形成していく過程自体が次世代生物学の研究目標となるであろう。1因子や1遺伝子のような1対1の規則ではなく、多様に絡み合った因果の連鎖の中からのルールの形成の研究は必須となるであろう。一方で、「多様性」がいかに安定に維持されるか、個と全体の関係がいかに形成されるかは、細胞生物学だけでなく、生態学から社会問題に至るまで現代科学が答えるべき急務であろう。こうした生命の基本問題に対して物質科学、生命科学、数理科学の3つの立場からのアプローチを総合し、生命の基本過程をこちら側から創製する実験によって、答えて行くのが当COEの目標である。